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2012年12月研究会のご案内 [「ブレーメン館」研究会]

2012年最後の研究会はブレーメン館会員の界兀歩 (さかい ごっほ) 氏による昨年に続いて詩についての講演です。研究会終了後は講師の方との懇親会を兼ねまして忘年会を行います。暮のお忙しい時期とは存じますが、多くの方々のご来場をお待ちしております。

講師: 界 兀歩 (さかい ごっほ) 氏 (ブレーメン館会員、詩人)
発表題目: 詩という呼吸と法(続)── 曖昧を引き受けつつ、育むこと呼吸法について思いめぐらすこと
日時: 2012年12月16日(日) 14: 00 - 16: 00 (会場の都合により開催となりますのでご注意下さい)
場所: 北海道情報大学札幌サテライト 札幌市中央区北三条西7丁目 緑苑ビル4F (北大植物園入口正面、玄関南向き)
参加費: 一般参加者500円、大学生以下学生および会員無料

発表要旨:
「曖昧」が日常生活のなかで専ら負性(マイナス)を帯びて口にされるようになって久しい。ともすればひとは自分の身辺にそれが見いだされることを恥じ、除去を努める一方で、目の前の対象や他者の内にそれを見いだし、指摘除去して成果や業績とする。あたかも暗黙の内にも何らかの人間性向上運動に従事しているかのごとくにである。
こうした「曖昧」の一種疫病神扱いは、どこからくるのか、いつ頃からのことか、そして「曖昧」を除去し尽くすことなど可能か。そもそも「曖昧」とはどのような事態なのか。

この、どこか本質的に捕捉不能な、底知れない表現/認識不可能性を胎んだ「曖昧」の急速な疫病神扱い化については、それが我々の住む社会構造(システム)の急速な変貌と深い関連があること、そのことは随分以前から体感的に知られていた筈と思われる。思うに、頻出する叫び「曖昧だ!」は、その(効率・市場等)原理主義にして豊かな高度テクノ資本主義、事実上の一神教化の浸透プロセスがヒトに上げさせる声なのだろう。(消費選択促進を事とする)このプロセスにはどこかでジレンマを「聞く」排中律の貫通は不可避であろうから。そして、その刷り込み自体は不断に、ますます微妙なミクロ域へと、既に浸透済みであろう。しりたいし──られたいし──知的なしりとりを刷り込まれた身体脳を媒介しつつ、豊かな情報じゃんぐる中を・・・・かるがると越境 ジョージ疾走 時々ハおもいっきり跳躍 ワカルワカル するーする。
それにしても今日「細部に宿る」のは何モノであるだろう。そして一体「曖昧」とは専ら疫病神扱いがふさわしいシロモノであろうか。「曖昧」の内に一片の「愛」が息を殺しつつ閉塞を生きのびている姿を、既に認めていないだろうか ・・・・ ー スル ・・・・ 
ひとが立ち止まってモノを思うことがおおい昨今、ココロある人間にふさわしい「理性」のあるべき姿を思い浮かべ、しんこきゅうを試みること。試みること。
それはまた、ヘルツとヘルツ、詩的言語が打ち返す、試みのことでもあるだろう。
[「またぐ」を考察のヒントとしたい。詩「死のフーガ」(ツェラン)にもふれる。] 

発表者のプロフィール:
『ブレーメン館』所収の近作、詩集『非ぐる日』、『unari ききうなり』など。抄訳/エッセー「パウル・ツェランの想い出/ツェランに於けるゲーデル的問題」

本年度と同様、来年度も研究会/文化講座の発表者(自薦、他薦による)を皆様から募ります。ご希望の方は、題名、要旨、希望する発表時期を明記して12月10日までに事務局にご連絡下さい。


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